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最も衝撃的だったのは、『アンアン』がリセを選んだということ。
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vol. 5 2020 Feb. 4th

酒井順子さん (エッセイスト)

2 0 2 0 年、おかげさまでa n a nは創刊5 0 年目を迎えました。 それを記念して、ご縁のある方々にインタビュー。 印象に残っている表紙や誌面など、思い出話を伺います。 今回は酒井順子さんにご登場いただきました。

男のためではなく、自分のために生きる道を示してくれた。 酒井順子(エッセイスト)

’90年代より、友達や恋愛特集、「一人で生きる方法」や「運のつかみ方」などのテーマで、多くのエッセイを寄稿し、対談ページなどにも登場した酒井順子さん。本誌との縁を深めたのは、2015〜’16年に連載した「ananの嘘」で、『アンアン』の創刊から2000号までを振り返り、徹底検証したことから。
「最も衝撃的だったのは、’70年代に日本でいち早くリセ(リセエンヌ。フランスの女子高校生のこと)とニュートラ(ニュー・トラッド)を紹介し、対照的な両スタイルをしばらく並走させていたこと。そして、’80年代に分岐に達したときに、リセを選んだということですね。それらは世の中の女性の2大潮流でもあり、男のために生きるか、自分のために生きるかの分かれ道に『アンアン』は後者を選んだ。これは、日本女性史に必ず明記したほうがよいくらいの大事件だったと思います」
連載を始める前まで、読者の立場としては、バブル期前後のハウスマヌカンや黒い服、刈り上げをフィーチャーしている印象が強かった。
「実は紆余曲折の末にそこに至ったという歴史を知り、俄然面白くなりましたね」
ちなみに「ハウスマヌカン」とは洋服店販売員のことで、『アンアン』が名付け、大きく取り上げることで、’80年代、女性の憧れの職業となった。
「スタイリストをスターに押し上げたのも『アンアン』ですよね? 学歴に関係なく、好きという気持ちがあればできるカタカナ職業を多く紹介した。女性の、その人自身の生き方をずっと応援してきた雑誌なのだと思います。ニュートラと別離した時点で『アンアン』は非モテの道を選びました。でも、恋愛も捨てられないというジレンマから、どうにかするために江原啓之さんを〝発見〞したり、しいたけ.さんに聞いてみたり(笑)。そんな人間的なところにもほろりとします」
50年続いた理由には、週刊誌ということも大きいのではないかと酒井さんは分析する。
「単行本のように残るものではないからこそ、そのときどきで、一番面白いものを取り上げては捨て、と鋒(きっさき)鋭いページが作れたのではないでしょうか。SEX特集やスピリチュアル特集など、皆をびっくりさせることも定期的にやってのける。モテとは別の、いばらの道かもしれないけれど(笑)、これからも世間におもねらないでほしいなと思います」

思い出のanan

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ニュートラv sリセ戦勃発。ここから独自路線が始まった

酒井さんが最も衝撃を受けた号。異性に好まれるニュートラと、ファッションも生き方も自由を求めるリセを対抗させ、男性に意見を聞いてみたり。非モテの自由なスタイルが次第に確立されていった。(1976年9月5日号)

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「ハウスマヌカン」を憧れの花形職業に押し上げた!

「ブチック店員」から「ハウスマヌカン」と呼び名を変え、ただの売り子ではなく、ブランドのイメージガール、スタイリストでもあると定義。「特集では有名人のような扱われ方をしていましたね」(1971年7月20日号)

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驚きの事実が次々発掘された、連載エッセイananの嘘。

1970年の創刊から2016年の2000号までの『anan』を検証した酒井さんの連載第1回。「女性の生き方や雑誌の存在感も変わってきた40数年。マガジンハウスのDNAも見てとれて面白かったです」(2015 年7月15 日号)

さかい・じゅんこ 1966年生まれ、東京都出身。高校時代から雑誌『Olive 』に寄稿。2003年『負け犬の遠吠え』がベストセラーに。『anan の嘘』『子の無い人生』『駄目な世代』など著書多数。

写真・小笠原真紀 取材、文・黒瀬朋子