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アンアンは流されない雑誌だ、と思っています。
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vol. 9 2020 Mar. 11th

北川悦吏子さん (脚本家)

2 0 2 0 年、おかげさまでa n a nは創刊5 0 年目を迎えました。 それを記念して、ご縁のある方々にインタビュー。 印象に残っている表紙や誌面など、思い出話を伺います。今回は、脚本家の北川悦吏子さんにご登場いただきました。

数々のドラマの陰には、アンアンの存在があった。 北川悦吏子(脚本家)

『愛していると言ってくれ』『ロングバケーション』をはじめとする、数々の人気ラブストーリードラマを生み出し、近年ではNHKの連続テレビ小説『半分、青い。』を執筆した脚本家の北川悦吏子さん。最初にアンアンに登場したのは、脚本家として注目を浴び始めた30代の頃。
「マガジンハウス自体が独特の勢いがあり、まさに〝時代の華〞で、多くの人たちの憧れでした。その出版社の『アンアン』といえば、流行の最先端を発信するオシャレ雑誌の代表格。まだ駆け出しの頃、『いつか有名になってアンアンに載って、恋愛とか語るんだよ』ってテレビ局のプロデューサーに言われて、まさかと笑ったけれど、それが本当になりました。やがて、連載を持つようになり、表紙にも出させていただき、夢みたいな不思議な感覚でした」
 その後、書くドラマが次々とヒットし、〝恋愛を書かせたら、北川悦吏子〞とまでいわれるように。
「ドラマ全盛期でした。視聴率30%取るテレビドラマがたくさんあって、野島伸司さんや三谷幸喜さんもほぼ、同じ時代にデビューしています。いい時代だったんです。その頃は、ネットも普及していなくて、まさにテレビドラマが時代を、流行を作っていました。そして、テレビドラマは憧れられる存在でした。だから、私はファッションや流行を知る必要があった。その頃、よくアンアンの編集者やスタイリストさん、ヘア&メイクさんに電話して、取材してドラマの参考にしていました。あの頃、私の書くドラマとアンアンの親和性は高かったと思います」
 北川さんが連載する恋愛コラムも読者に大人気で、恋愛座談会や恋愛相談の企画も数多く組まれた。
「私は、今も雑誌などで紹介される時に恋愛の神様、と言われますが、最初にそのキャッチコピーをつけたのは、アンアンなんですよ(笑)。今は、アンアンもあの頃とは様変わりしてるんだと思います。でも、またあの頃とは違うやり方で、読む人に寄り添っているんだろう、と思っています。私もアンアンから自然に離れていきました。私自身の書くものも違ってきましたし。でも、初心を忘れないで夢のあるもの、お洒落なもの、センスのあるものが好き、というアンアンの姿勢は貫いてほしいと思います。アンアンは流されない雑誌だ、と思っています。誇り高き雑誌。時代が変わっても、変わらない何か、があるといいと思います。自分自身もそうありたいですが。これからも、アンアンを応援しています」

思い出のanan

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恋愛特集が多かった時代。対談やお悩み相談の常連に。

ラブストーリーを描いたトレンディドラマ全盛期。パソコンも一般には普及していなかったため、恋愛に関する情報は雑誌からの発信が主流だった。北川さんは恋愛コメンテーターとして数多く登場。(1996年6月28日号)

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インテリア特集では憧れの人の「お部屋公開」に登場。

ドラマの影響もあり、こだわりのある素敵な部屋に住むことがステイタスの一部に。インテリア特集も人気で、有名人が自分の部屋を公開することも。この時、北川さんは青山のマンションに住んでいた。(2000年3月31日号)

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a n a nの連載コラムでは、赤裸々に恋愛経験を暴露。

「今だったらSNSで簡単に相手が誰か分かってしまうから、絶対に書けません」と北川さん。今よりもずっと自由に自身の意見が発信できた時代。「ここまで正直に書いていいの?」ということまで!(上・1995年1月6日号/下・1997年2月27日号)

きたがわ・えりこ 脚本家、映画監督。1992年『素顔のままで』で連ドラデビュー。代表作に『あすなろ白書』『オレンジデイズ』『空から降る一億の星』など。映画や舞台にも進出し活躍し続けている。

写真・中島慶子 ヘア&メイク・新井健生 取材、文・安田光絵