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アンアンパンダの生みの親
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vol. 1 2020 Jan. 6th

大橋 歩さん (イラストレーター)

2020年、おかげさまでananは創刊50周年を迎えます。それを記念して、ご縁のある方々にインタビュー。印象に残っている表紙や誌面など、思い出話を伺います。お一人目のゲストは、イラストレーターの大橋 歩さんです。

いまも続くパワフルな雑誌は、 自由な空気から生まれました。 大橋 歩(イラストレーター)

1964年創刊の伝説的雑誌『平凡パンチ』の表紙イラストを描いていた大橋歩さんは『anan』にも創刊時からゆかりが深い。
創刊準備号は現社屋と同じ場所にあった木造の旧社屋の別棟で作られていたが、創刊にともない編集室は六本木に移動。創刊の立役者のひとりで、のちに雑誌の神様とも呼ばれた清水達夫にあてがわれた2階の役員室の隣室が、大橋さんの仕事場だった。
「『anan』編集室は3階にあり、当時専属契約していた私もそのビルに入り浸りでした。編集室にはさまざまなクリエイターやアーティスト、のちにスタイリストの草分け的存在になる原由美子さんや堀切ミロさん、まだ大学生だったミュージシャンの近田春夫さんなど希有な才能の持ち主たちが自由に出入りしていて、活気がありましたね。私はいつも刺激をもらっていました。自分がフリーになってから気づいたのですが、『好きにやっていいよ』という制約のなさが雑誌のパワーになっていたのかも」
大橋さんは、小誌のトレードマークとして広く愛されているパンダのイラストの生みの親でもある。
「ananの前身になるテスト版の雑誌で、何人かのイラストレーターがそれぞれパンダの絵を描いて読者に『どれが好きか選んでください』という企画があって、そこで選ばれたんです。私がいちばん下手だったんですけれど、選んでもらえたのは、あのてろんとした感じに、たぶん親しみを感じてくださったからかなと思うんです。でもまさか自分が描いたパンダがずっと残っていくなんて、あのころは思ってもいませんでした(笑)」
創刊号からしばらくは、エッセイや街遊びのルポなどイラスト以外の仕事でも活躍していた。
「あまり覚えていないんですが、編集部の人たちとも仲良しだったので、仕事をいただくたびに、私なりにいろいろ努力したんですね」
近年では、作家の村上春樹さんのエッセイに版画を添えるコラボ連載「村上ラヂオ」は、大橋さんにとっても思い出深い仕事のひとつだという。
「私は村上さんのファンなので、気持ち的にはただの仕事と割り切れないところがあって。毎回『がんばる!』『がんばる!』という気持ちで臨みました」
最後に、小誌へのエールをお願いしてみた。
「守りに入らず、時代に応じて変身し、存在感を放ち続けてきた『anan』。すごいと思いますし、これからも前進を期待します」

思い出のanan

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パンダのアイコンが誕生!ここから伝説は始まった。

ロンドンの動物園でロシアから来園していたパンダのアンアンを見た黒柳徹子さんが、その可愛らしさを周囲に喧伝。大橋さんも編集部でパンダの写真を見たとき「こんな生き物がいるのかと驚いた」そう。「平凡パンチ for girls」(1970年2月20日号)

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気負いない自然体の文章で、エッセイも人気を博した。

のちに編集長、社長にもなる吉森規子氏の依頼で、大橋さんは創刊号からイラスト付きエッセイを寄稿。講談社が『トマトジュース』というタイトルで書籍化。「いまとなっては照れくさい思い出です」(1970年創刊2号目)

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コラボ連載「村上ラヂオ」は2000年3月よりスタート。

単行本化ののち、新潮文庫(既刊3巻)。「憧れの村上さんが私の版画を気に入ってくださったと聞いたときは、本当にうれしかった。初めてご本人に会ったときは、緊張しすぎて大変でした(笑)」(2000年3月17日号)

おおはしあゆみ 1940年生まれ。三重県出身。イラストレーター、デザイナーなどマルチに活躍。多摩美術大学卒業後の23歳から専属で『平凡パンチ』の表紙イラストを担当。’72年よりフリーに。ウェブサイト「イオグラフィック」www.iog.co.jp

写真・山城健朗 取材、文・三浦天紗子