shinoyama
大きな話題を呼んだ数々の写真を撮影!
name
vol. 6 2020 Feb. 11th

篠山紀信さん (写真家)

2 0 2 0 年、おかげさまでa n a nは創刊5 0 年目を迎えました。 それを記念して、ご縁のある方々にインタビュー。 印象に残っている表紙や誌面など、思い出話を伺います。

時代の最先端の人を 撮影するチャンスを たくさんくれました。 篠山紀信(写真家)

日本で最も名前の知られた写真家と言っても過言ではない、篠山紀信さん。アンアンが創刊された1970年当時は30歳前後。
「アンアンの前に、僕は『血と薔薇』という雑誌の創刊号で三島由紀夫さんの〈聖セバスチャンの殉教〉というヌードを撮り、少し話題になっていたんです。その本に関わっていたデザイナーの堀内誠一さんが、当時のアンアンのアートディレクターを務めていて、その縁で7号目の、アーティストの横尾忠則が生まれ故郷を旅する『西脇オデッセイ』というページにカメラマンとして呼んでもらったのが一番最初。当時横尾ちゃんと僕は友達だったから、堀内さんと横尾ちゃんの間で〝ちょっと篠山でも呼んでみるか〟ってことになったんじゃないかな(笑)」
編集部から声がかかったときは本当に嬉しかった、と篠山さん。以降ファッションからスターのポートレートまで、さまざまな撮影を手掛けてきた。
「創刊当初のこの雑誌は、新しくておもしろくてカッコ良くて、本当に画期的な存在で。どんなふうに撮影をするか編集者に提案をしたり、僕も参加するのがとても刺激的でした。ただね、そういう本って、残念ながら売れないの(笑)。売り上げ的な意味では、最初のうちはなかなか大変だったんじゃないの」
’70〜’80年代を経て’90年代のアンアンでは、篠山さんは刺激的なヌードを多数手掛け、話題を呼ぶ。特に話題になったのが、’91年の本木雅弘さんのヌードと、’92年の素人読者のヌード。
「当時僕は男性誌では女性ヌードをたくさん撮っていましたが、女性誌、しかも被写体は本木雅弘さんという男性。何もかもが新しく、まさに挑戦でした。その翌年に、ヌードを撮りたい読者を募集し、それを僕が撮るっていう企画をやったわけ。これも大反響で。この時期の編集長の淀川美代子さんの、時代を捉えた企画を立てる感度は、今考えてもすごいものがあったと思います」
自身のことを、「僕は雑誌に育てられたカメラマン」と言う篠山さん。
「過去に撮ったものを振り返るとアンアンは、その時代ごとの輝いている人や現象を撮影する機会を与えてくれたんだな、と思います。僕自身もそこで、なんとか他の人と違う切り口で撮ろうと工夫したりもがいたりしたのが、とても楽しかったことを思い出します。これからもアンアンは、時代の最先端を複写する、そんな雑誌であってほしいです」

思い出のanan

2188-480.330-2

スナップ風に見えますが、実は三脚を立てて撮影。

横尾さんの生まれ故郷・兵庫県西脇市を訪ねるロードムービー的な企画。「この号の発売後、新宿の飲み屋で他の雑誌の編集者に、『君もやればできるじゃないか』と褒められたのをよく覚えてます(笑)」(1970年6月20日号)

2188-480.330-1

この撮影がきっかけで、後日撮り下ろし写真集を刊行。

個性派俳優として人気が高かった本木雅弘さんのヌード。ヘアが見えていたこともあり、大反響が。「写真の評判がとても良く、後日改めて撮影をし、『white room』という写真集にまとめ、発売しました」(1991号5月3・10日号)

2188-380.480

多幸感あふれる素人ヌード。今では実現できない企画?!

読者の中から“篠山紀信さんにヌードを撮られたい人”を募集し、撮影をした正真正銘の“素人の裸”。「女性誌でこれをやるって、前代未聞。僕自身、モデル選考のオーディションから関わった企画です」(1992年10月2日号)

しのやま・きしん 写真家。1940年生まれ、東京都出身。’60年代から今まで写真界の第一線を走る。アイドルから歌舞伎、建築まで、その被写体は幅広い。

写真・中島慶子 取材、文・河野友紀