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アンアンは時代を乗り越えようとする意識があった雑誌
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vol. 4 2020 Jan. 28th

立木義浩さん (写真家)

2 0 2 0 年、おかげさまでa n a nは創刊5 0 年目を迎えました。 それを記念して、ご縁のある方々にインタビュー。 印象に残っている表紙や誌面など、思い出話を伺います。 今回は、創刊号の表紙を撮影した立木義浩さんにご登場いただきました。

ヨーロッパロケは、 友だちと旅する感覚。 楽しかったなあ。 立木義浩(写真家)

創刊号の表紙をはじめ、’70年代のファッションページを支えた写真家の立木義浩さん。
「アンアン創刊当時は、世の中の流行を女性が作り始めた頃。そのアンアンが50年も続いているってことは、やっぱり流行は女性が作り続けているんだろうね。世の中には見せてはいけないもの、言ってはいけないことなど制約に縛られる時代があったけど、アンアンは、性について取り上げたり、時代を乗り越えようとする意識があった雑誌ではないかな」
 アンアンで仕事を始めたきっかけは、当時のアートディレクターの堀内誠一さんに声をかけられて。
「僕は週刊平凡でも撮っていたんで、その流れで堀内さんが声をかけてくれたんだと思います。当時、女性の憧れはとにかくヨーロッパ。僕もあちこちロケに行きましたが、仕事というより友だちと旅しているような感覚でした。編集者が生き生きと『こういうページが作りたいんですよね』と言う企画に、カメラマンが乗って作るといいページが作れたんです。しかも内容が詰め詰めに決まっていないから、みんなが現場で一生懸命考えながら作るんだよね」
 当時はフィルムで撮影する時代。失敗や撮影にプレッシャーを感じることはなかったのだろうか。
「写真さえ写っていれば、堀内さんがなんとかしてくれた(笑)。堀内さんの写真の使い方の大胆さにはいつも驚かされました。今でも記憶に残っているのは、商品を一点シンプルに写した写真を、堀内さんがあえて写真の上に罫線を一本すっと引いたデザインにしたんです。その一本の線がありがたいほど写真を際立ててくれた。ただ写真を置くんじゃなく、これがデザインだと教えてくれました」
 そして立木さんとアンアンといえば、ファミリーヌードの連載グラビアが記憶にある。
「これは編集部の中谷さん(後にアンアン編集長となる吉森規子さん)が僕に出演兼撮影をと、口説きにきたんです。嫁も『いいんじゃない?』と了解したんで、家族の写真ならお袋に撮ってもらおうと、徳島の僕の実家の写真館に機材を持っていったんだよね。そこからファミリーヌードを僕が撮る企画になったんです。アンアンはその頃から他社と比べなくていい雑誌だった。気がついたら楽しくて50年が経っちゃったんでしょ? 時代の先端を行くアンテナを立てている人たちが作ってきた雑誌という自負は、持ってもいいんじゃない?」

思い出のanan

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カメラ立木×A D 堀内、創刊号で実現した黄金コンビ。

表紙のモデルはMarita Gissy。ディオールの衣装で立木さんが撮影。中ページにはananの看板モデルとなる立川ユリ(後の金子ユリ)さんのパリ、ロンドン、ベニスでロケしたグラビアページなども。(1970年3月20日号)

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高田賢三氏がモデルを務め、パリでのロケを敢行。

「PARISの新しいプリンス 高田賢三コレクション」と題したファッション特集。ロケ地はパリ。モデルはデザイナー高田賢三さんご本人とモデルの立川ユリさん。衣装はもちろん『ケンゾー』。(1971年7月20日号)

たつきよしひろ 1937年生まれ。東京写真短期大学技術科卒業後、アドセンター入社。1965年第9回日本写真批評家協会新人賞。広告、雑誌、出版、映像などの分野で活躍。

写真・大内香織 取材、文・今井 恵